ホーム > 事例で見る人間力 第1回

現代の日本で、多くの人々が人間力の高さ、豊かさというものを認めることのできる人物は、きわめて数が限られています。
これこそが、現代日本社会の脆弱さを物語っているとも言えるわけですが、そのような脆弱な日本社会の中にあって、力強い人間力を発揮している人物もいないわけではありません。その代表的な一人として、京セラの名誉会長である稲盛和夫氏を取り上げて考えてみたいと思います(とはいっても、このことが稲盛氏のすべてを礼賛することにならないことは、言うまでもありません)。
おそらくは読者の皆さんも稲盛氏に対しては、いま私が申し上げたような人間力を発揮されている人物の一人として、「なるほどその通りだ」と共感を持っていただけるのではないでしょうか。
今回語る内容は、彼の持っている身体意識の全てではありません。全てについて語りますと、今回の皆さんにお届けする講座の内容がぼやけてしまって、かえってわかりにくくなるからです。それでは、どこを取り上げていくかということをお話しすると、それはまず「トップ・センター」(※)「上丹田」「中丹田」「下丹田」という、身体意識の中でも最も基本的な4つの装置についてです。この4つの装置がそれぞれどのような働きをするかについては、本サイトの「身体意識とは」のページをご覧ください。
※「トップ・センター」とは、数種類あるセンターのなかで中央にある最重要のセンターのことである。その他にも「サイド・センター」や「ダイナミック・センター」などがあり、正確にはそれらを総称して「センター」と呼ぶ。
さて、稲盛氏といえば、きわめて早い段階からセラミックスが現代文明の中で非常に重要な工業的材料、製品になることを予見し、セラミックスの技術に着眼、1959年に京都セラミツク(現・京セラ)を設立して、10年後には株式上場する企業にまで成長させたということは、ご存知の方も多いでしょう。さらにその後、新しいセラミックス材料である「ファインセラミックス」(稲盛氏自身が命名)の技術で世界的な企業に成長させたという、まさに立志伝中の人物です。その後も続く彼の活躍を見ていったときに、きわめて特徴的ないくつかの人間力の現れを見ることができます。
それは、当初からの軸のブレることのない首尾一貫した企業経営者としての生き方であり、さらにそれを支えている人間としての生き方ということになると思います。そしてこれこそが最大にして最重要な人間力を担うトップ・センターの働きによるのです。さらに詳細に見ていくと、まず第一に、企業経営していく過程で訪れる様々な困難の中で、確固不抜の胆力に支えられた行動力と判断力をもって問題に立ち向かっていったという事実。これは下丹田というもののまさに機能の現れだと考えられます。
一方、安定的な判断だけではなくて、KDDIの設立の際に見られたように、非常に難しい要因の多い環境、条件の中を勇猛果敢に進んでいく姿も見ることができます。これについては、中丹田の機能の現れというふうに考えることができるでしょう。
そして、大局的見地に立って多くの世界的な情報を精査し、それに整理をつけながら、正解に辿り着く思考をめぐらす知的な能力は、上丹田の機能の現れと見ることができます。
そして、さらにはKDDIの設立のときに、彼が半年間自分を対象化して、思考を繰り返したという「動機善なりや、私心なかりしか」というテーゼについては、再びトップ・センターというもののまさに高さによっているものと考えることができます。トップ・センターについては、それが全身を貫いていることによって、ブレない軸という作用を担うということはすでに語ったことでもあり、皆さんもよくおわかりだと思うのですが、さらにその深さ、高さというものによって、深い思慮、広い視野、高い視点から、自分および自分を取り巻いている社会、さらにその人物の立場によっては世界全体を見通す能力までもが発現するものなのです。
その場合、広い視野、そして高い視点によって何が起こってくるかというと、結局自分自身という狭い意味での私個人というものを対象化するという視座が得られるのです。これはつまり、私心というものを越えた大きな判断、つまり昔風の言葉でいえば「天の声に従って動く」ということになります。
このような表現を使うと、いささか神懸かり的に聞こえるかもしれませんが、そのような意味ではなく、私心を越えるという意味で、いわば個人の思惑を超越した「天の意志」、つまり「天の声」を聞くというふうに申し上げたわけです。そのような視座でもって、自分自身やそれを取り巻く環境、世界を見ることができるようになるということなのです。
したがって稲盛氏には、典型的にトップ・センター、上、中、下丹田によって、その人間力というものの大きな部分が担われていた、と見ることができます。
一方、それと比較すべく取り上げたのが、T氏です。彼は日本有数の実業家にして、某鉄道グループ、某有名ホテルグループの元オーナーを務めていた人物です。
彼は最盛期には飛ぶ鳥を落とす勢いで、世界長者番付に掲げられた年もあったくらいで、日本人でそんなことがあるのかということに皆さんも驚きをもって受けとめられた記憶があるのではないでしょうか。そのときに私自身はこれは絶対何かあるな、と疑問を抱いたことを覚えています。まともな経済的な手段を積み上げていって、日本人でそのような世界と競うほどの富を得るようなことは、私の知る限りでは考えられない、と私は判断したものですから、これはその背景には必ず何か虚構の論理が潜んでいるな、とそのときに睨んだわけです。
それが後年、見事に馬脚を露わすことになったわけですが、そのことについては、皆さんもよく記憶されていることと思います。そのような人物と稲盛氏のような人間力の優れた人物を、トップ・センターおよび三丹田の観点で比べると、如実にその身体意識の違い、そしてその結果としての人生や企業経営者しての行動、生き方の違いというものが見えてくる、と私は考えます。
ご覧いただきたいのは、T氏にはトップ・センターも三丹田もほとんどといっていいくらいないことです。したがって、一見、軸がブレないように見えたあの生き方は、軸がブレなかったのではなく、これは剛直な身体意識がいくつか備わることによって、いわば力づくで強引に人生を送ってきた、あるいは企業経営者として生きてきた結果として見ることができるわけです。
一方、トップ・センターの深さや高さはまったくに近いほどないわけですから、私心という観点でいったときには、ほとんど私心だらけだったというふうに考えたらいいと思うのです。つまり大所高所に立って自分自身を相対化しながら社会や人を見ていくことが、ほとんどできていなかったのでは、と考えることができるわけです。
そして彼の行動力についていえば、ある意味それなりに行動力があったわけですが、じつはそれはトップ・センター、そして上、中、下丹田とかみ合ったものではなかったのです。彼の(上)の右体側図(右から2番目の図)でいうと、彼の身体を後ろから前に向かってずっと突き出している矢印(前方矢)が見えますが、これは彼の行動力を表しています。このような行動力を発揮させるような身体意識の装置はたしかに存在するのですが、結局このような前へ前へと突き進ませる装置、またその結果としての人間力というものは、より根底的に重要なトップ・センター、私心を克服する意味でのトップ・センターという装置が備わっていないと、ときに悪しき結果を招くこともあるという教訓として、受けとめていただければと思います。
それと同時に、上丹田、中丹田、下丹田も備わっていないわけですから、たくさんの情報を精査しながら、正確な正しい判断ができなかった。それから、本当の意味での情熱、人を本当の意味で愛し、人を育て、共感をもってやる気を育てていくということが中丹田の作用なのですが、それがほとんどなかった。実際に人を粗末に扱ったということも一つの事実として聞いています。そして、下丹田。本当に困難な状況の中で部下、仲間、企業全体が動揺していくような場面の中で自分自身を安定させつつ、見事な判断の土台を築いていくということも、やはりなかったのだろうと考えられるわけです。
なお今回取り上げたのは、企業経営者として有名な二人ですが、すでに申し上げたように身体意識の装置は人間の根本装置ですから、本人を取り巻く人生を担う装置としての身体意識は、当然のことながら、企業人ばかりでなくどのような職業、生き方の人物にとっても同じように法則として存在します。
そのことをどうぞ一つ大事にされて想像をめぐらせていただき、スポーツ選手でも、ビジネスマンでも、あるいは家庭の主婦でも、OLでも、学校の教師でも、医師や弁護士でも、どのような職業、専門の方々にとっても、これはまったく同じように働いている装置なんだということを、ご理解いただければ良いと思います。
そして、繰り返しになりますが、今日までの研究の蓄積によって、またそこから生み出された理論と方法を学ぶたくさんの人たちが体験、実績、実証を積み重ねてきたことで、いままで申し上げてきたような身体意識の装置は、計画的にトレーニングをして自分自身の中に形成し、組み立て、築き上げることができる時代になったのです。
つまり、軸がブレない、そして大所高所に立って私心を克服していけるような自分を築きたい、生き方をしたい、それぞれの専門の領域で仕事をしたい、と祈念する方がいるのであれば、トップ・センターというものを学習して、トレーニングすることによって、次第に自分自身の中にそのような方向で人間力を確実に組み上げられる育成・養成が、可能な時代になったということなのです。おおいに参考にしていただき、人間力取得に向けて励んでください。