ホーム > 事例で見る人間力 第2回

バンクーバーオリンピックのフィギュアスケート女子シングルにおける浅田真央選手と金妍児(以下、キム・ヨナ)選手の戦いを、史上最高の戦いと称したメディアがいくつもありましたね。そして、浅田真央選手の銀メダル取得に対して、「立派すぎるほどの銀メダル」だと、そういう報道もたくさん見ることができました。皆さんはそれらをどのようにご覧になりましたでしょうか。
日本にとって浅田真央という人物の注目度の高さ、これはひっくり返していえば、韓国にとってのキム・ヨナという人物の注目度の高さということに相当するのだと思いますが、この二人がまさに深い関係性をもって、この10年にわたる熾烈な戦いを繰り広げることによって、二人はさらにますます注目度の高い、まさに国家的スケールにおいて重要な人物として成長していきました。
こうした注目度の高い人物について論評するからには、人として基本的な知情意というものを十分に備えていることが必要だと思います。例を挙げれば、まずは同じ一個の人間存在としての共感とか、同情心とか、そういったものを備えているかということです。そして、次に専門家としての深く正確な認識力。さらに人という存在が、ときに人としての共感を越えるほどの特別な枢要性をもって存在することがあるのだという基本的な理解力。
以上の3つが必要だと私は考えています。だから、私も自らそのような要素が3つとも自分に備わっているだろうか、という自問をしながら、この話を遂行していきたいと思います。
まず浅田真央について申しますと、日本のフィギュアスケートの歴史にとって100年に一人の才能を持った人物だと、私は見なしています。そして日本の女性アスリート全体の中で見ても、おそらくは一世紀に数人現れるかどうか、といえるほどの天分を持った選手だと見なしているのです。
とくに今日、日本の国民の意識、社会状況、経済、政治、さらには国家の有り様においてまで、すべてが衰退の一途を辿りつつあり、危機的な状況に陥っていることを考えれば、一世紀に数人と考えられるような天分を持った人物を、私たちが食いつぶすことは決して許されないのです。いかにこの人物を見事に育て上げ、この人物の成長とともに国民の一人一人、さらには社会や政治、トータルな国家そのものが成長することが重要なのか、ということについて、あらためて確認しておきたいと思います。
人間としての情という面から言えば、私もご多分に漏れず「真央ちゃん、よくやってくれた」とか、「立派すぎるほどの銀」、「その努力は金メダル以上」などのような思いは当然持っています。また事実として、以下の知識を列挙することができます。
2009年グランプリシリーズのロステレコム杯(パリ大会)、エリック・ボンパール杯(モスクワ大会)の惨敗を受けて、たった一人氷上に立って、1ヶ月以上にわたって壮烈なフィギュアの練習に取り組むという、まさに孤軍奮闘の素晴しい自分との戦い。
また、ここ最近で身体が変わってきているという事実。163cmないし164cmと公表されている身長が、実際には166cm以上に育っているということに加え、体重も50kg近くに増えてしまったという事実。身体が急激にそれほどまでに変わってしまうと、あのような極めて精度の高いバランス能力や硬い氷面との強烈な力学的関係を取り結ばなくてはいけない競技においては、致命的なマイナス要因になってしまうのです。なのに彼女は1ヶ月以上にわたって、氷上で一人孤独な戦いの中でそれを克服していったのです。体重を絞りながら、体脂肪率も大幅に絞ったと聞いています。
そして、コーチとの関係、キム・ヨナがカナダに練習の場を移し、ブライアン・オーサーコーチとの完全密着した、隙の入り込む余地もないほどの親密な師弟関係を取り結ぶことができたことに対し、浅田真央はタチアナ・タラソワコーチとは、ときおりの対面指導のみ。また、バンクーバー五輪を前にしてタラソワコーチのいない一人孤軍奮闘の戦いという、キム・ヨナとはまったく異なった状況に立たされていたわけです。実際には、タラソワコーチのアシスタント、ザンナ・フォレコーチが来ていたという事実はありますが、この水準の専門性の高さから考えれば、本番に向けてパフォーマンスを極めていくという過程においては、アシスタントコーチでは決定的なレベルでの役には立たなかったと判断するのが正当だと思います。
以上のようなことに加え、さらに専門的になりますが、それぞれのジャンプの基礎点という問題があります。トリプルアクセルの基礎点は8.2点。これは、そのジャンプの難易度、つまりパフォーマンスというものを科学的に考えてみたときに、私もたしかに低いのではないかと考えます。その部分の採点評価システムが、浅田真央選手に不利だったのではないかというようなこと、さらにその他のマイナス要因や彼女の孤軍奮闘、悲痛なまでの戦いということを列挙すると、一般人ではなく、たとえ専門家であっても、キム・ヨナと戦いの結果の銀メダルを称して「価値ある銀メダル」というように言ってしまうのも無理はないだろうと思うのです。
しかし、以上の前触れにあたる話をお伝えしたところで、私は次のように思うのです。私たちは、これほどまでに注目度の高い存在である浅田真央選手であるがゆえに、私たちの認識というものも含めて、徹底的、専門的な分析方法を駆使することで、真実を明らかにし、さらにその奥にある人の存在、人の行為というものの“真理”に到達する必要があるのではないか、と。
それでは、私がその専門的な方法を駆使して、彼女の真実、さらにその奥にある“真理”に迫ってみたいと思います。まず浅田真央選手の得点205.50点とキム・ヨナ選手228.56点という得点差です。23.06点という得点差を見て、少し開きすぎなのではないかと思った方もいるのではないでしょうか。つまり、採点が韓国のキム・ヨナ選手を贔屓しているのではないか、ということです。さすがにそこまでハッキリという識者はいませんでしたが、暗にそれを思わせるような記事を掲載したメディアは何件かありました。
このことについて申せば、現在のフィギュアスケートの採点評価システムというのは、精緻を極めていて、採点種目でありながらきわめて客観性を見いだすことに成功している種目の一つなのです。
たとえば皆さんの関心の高いジャンプですが、個々に難易度に応じて基礎点が与えられています。トリプルアクセルの評価が低いのではないかという批判は納得できることですが、一つここでは括弧にくくって置いておくことにして、加点、たとえば同じトリプルアクセルを飛ぶにしてもどれくらい見事に素晴しいパフォーマンスであるか、ということについての何項目ものチェックポイントがあるのですが、一般の観衆が見落としがちなり離氷や着氷の流れの美しさまでもが評価対象の要素として入っており、その前提として、スケーティングそのものの質的な善し悪しなども全体としての評価対象に含まれているのです。
こうしたことを考えてみますと、私たちは浅田真央選手がトリプルアクセルを2回も飛んだという事実のみに、捕われすぎているのではないでしょうか。たしかにオリンピックのフリースケーティングで2回も飛べたのは、浅田真央が史上初であるし、さらにいえばショートプログラムも含めて3度とも成功させたのも、当然ながら初めてのことです。この事実には当然、格別の価値があります。しかし、識者も含めて、その事実自体にあまりにも意識が捕われすぎているのではないか、と私は思うのです。